昨日までの倦怠感

突然年下の美少年に惚れ込んだおばさんのひとりごと。

眩しさの向こう側

はじめまして!あいと申します。


ブログを始めようと思ったきっかけは、自担道枝駿佑くんが晴れて初めてのユニットに所属することになったことで、たくさんの思い出が私の頭の中を駆け巡ったからです。

たくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん文句を言ってきたけど、それでも大好きで堪らない関西ジャニーズJr.に対する約10年の思いを初めて文章にしてみたいと思います。しばしお付き合い下さい。











忘れもしない2016年8月4日。

私が関西ジャニーズJr.を見る為に松竹座に戻ってきた日です。もう何年も松竹座には足を踏み入れていませんでした。それは、私の中にあった恐怖心とずっと忘れられなかった大好きな人への思いを振り切った日でもあった気がします。

数年ぶりに、松竹座に足を踏み入れた理由はなんとも安直でした。長年の友人に舞台ANOTHERに誘われたから、ただそれだけ。それが私の運命をまた動かし始めるなんて思っても見ませんでした。
その時は関東のデビュー組を応援していたため、関西Jr.に担当もおらず、意図的に離れていた私は
「え、康二と龍太めっちゃメインじゃん!真鳥久しぶり見たわ!」
ぐらいの感覚でした。だから本当にただの友人の付き添い。私が青春を捧げて泣き叫んだ松竹座が、そんな甘っちょろい考えを許してくれるわけなんてないのにね笑



その昔、私には大好きな大好きな人がいました。知らない人も沢山いらっしゃるとは思いますが、関西ジャニーズJr.の人気ユニットBOYSに所属していた中田大智くんという人です。現在ジャニーズWESTで活躍する、濵田崇裕くんのシンメです。相棒です。大智くんは本当に周りがよく見える、不器用だけど優しくてカッコイイお兄さんでした。

私は彼に青春のすべてを捧げてました。当時まだガラケーをデコったりなんかしてた学生でした。情報量も少なくて、今よりもっと現場に通うお姉さんたちはドギつくて、松竹座も城ホールも熱気ムンムン。たのしかったなぁ。

その中でもとくにBBVと呼ばれていた、B.A.D、BOYS、Veteranのヲタクときたら手がつけられなかったので本当にスタッフさんも苦労しただろうなぁと思います。その頃台頭してきた7WESTが気に食わなくて、コンサート中でも彼らが歌う時は一斉に座ってボイコットなんて日常茶飯事でした。私はそのBBV側のヲタクでした。

当時のその3グループは本当にギラギラしててかっこよかった。関西黄金期と呼ばれるに本当にふさわしかった。今考えたら若気の至りみたいな髪型したりとかみんなしてたけど、それが私の目には史上最高のイケメンに見えてました笑

私は関西よりもっと西の田舎に住んでいたので、アルバイトやお年玉をせっせと貯めては遠征する生活を送っていました。予算を削るために、治安が悪くて有名な地域のホテルに泊まったりしてたなぁ。

そんな私にも高校を卒業して進学する時がやってきました。もちろん、進学先は関西。その為に親を説得し、勉強して関西でも割となの通った大学に合格しました。これでやっと彼らと同じ場所に行けるとワクワクしながら地元を出ました。当時の私はそれが夢に過ぎないなんて思いもせずに、明るい未来だけが待っていると思っていました。

関西に住み始めた2010年の夏、私が2016年のANOTHERまで距離を置くこととなる松竹座に最後に足を踏み入れました。まあ、当時の私はこれからもガンガン入るぜ!よろしくな卍!みたいな勢いで入ったんですけどね笑 舞台少年たち~格子なき牢獄〜でした。今より倍以上長いshow time、大渋滞を起こしてた花みち。懐かしいなぁ。照史ならいける!とか意味からんことを言いながら、花道横の席を争ったものです。大智ってうちわ作ったなぁ。今みたいに、メ○カリで頼んで作ってもらえるとかないから、友達と夜な夜な画用紙切りましたよ。ペンのインク切れてコンビニ走ったこともあったな。

でも、そんな夢は長くは続きませんでした。夢は呆気なく覚めるんです。大好きだった大智くんがいなくなりました。これからもずっとずっといてくれるんじゃなかったの?大好きって明言してた、濵田くんを置いて行っちゃうの?って頭が真っ白になりました。

これが別のジャンルで頑張ることを決めたんだったり、家族を持つ決断をしたんだったらまだ私も割り切れたと思います。松竹座にすら恐怖心を覚えることなんてなかったと思います。でも彼は、そんな華々しい理由でジャニーズの道を外れたんじゃなかった。(本当の真相は彼にしかわかりませんし、ブログに書くようなことでもないので、気になる方は当時を知る人に聞くなり検索するなりしてみてください。)

当時の私には衝撃が大きすぎました。仲良くしていたヲタク友達からもそりゃあ色々聞かれましたよ。そんなん私が大智くんに聞きたいよって思ってましたけど。彼に対する心無い言葉も痛いほど聞きました。今までの努力すら侮辱するような言葉だって聞きました。まるで、自分が言われてるようでしんどかった。私はその時全てを失った気がしました。全てに対して、疑心暗鬼なりました。当時やってたブログとかも全部消しました。彼に会いたくて働いて、進学して、勉強してた私にとって生活基盤がなくなったと言っても等しかったです。

そこから松竹座自体も怖くなりました。もう彼はいない。そんな舞台見たくないし、見れない。それにもし、私がまた松竹座で誰かを好きになってもいなくなっちゃうかもしれない。意味わかんなくてめっちゃ泣きました。学校も暫く休んだし、予防接種してたのにインフルにもかかりました。

しばらくして、私の中で少しだけ整理がついて落ち着いてきて、濵田くんだったり他のメンバーも何事も無かったかのように活動が始まりました。その時私の中で「そうだ、忘れるしかないんだ。」って感情が湧きました。このままいても仕方が無い。私は彼への思いを成仏させないまま、彼への気持ちに鍵をかけて奥底にしまいこみました。 試しに、キスマイとかセクシーゾーンとかにハマってみたりもしました。

そして話は2016年へと戻ります。6年ぶりの松竹座。大きく深呼吸をして足を踏み入れると、あの時と何にも変わらないどっしりとした、清らかな空間が広がってました。涙が出そうでした。たくさんの思いが込み上げて、心が苦しかったです。

その公演で私は、才能の光る美少年に目が止まりました。それが道枝駿佑くんです。聞けばまだ中学生!完全に犯罪だぞと自分に言い聞かせましたが、生まれながらのヲタク気質故にどんどん沼にハマりました。真っ白な肌にクルクルした大きな目、ふわふわの髪の毛。コテコテの関西弁に、生意気で人懐っこい性格。可愛いの大渋滞やんけ!と、即座に名義の好きなタレントを道枝駿佑に変え、彼の担当としての日々が始まりました。

なんばの改札を抜けてアンスリーの横を通って地上に出ると漂う、なんとも言えないラーメンの匂い、しつこいキャッチのお兄ちゃん、松竹座の前で何故か遭遇する知り合い。嗚呼これだ。私の生き甲斐はこれだ。なんて楽しいんだ。関西ジャニーズJr.のヲタクで本当によかった。そんなことを思いながら私は恐怖心なんか既に忘れて、その年のクリパに通いました。その時は大智くんのことなんて思い出さなくなっていました。まだ成仏出来てないはずなのに。

そして、来たる2016年12月24日。私は京セラドームにいました。ジャニーズWESTの初ドームコンサートに参戦するためです。関西ジャニーズJr.から距離は置いていましたが、大智くんと同じ時を過ごし切磋琢磨した彼らのことが気にならない時はありませんでした。なので、年1ぐらいでコンサートには顔を出していたのですが、この大舞台見届けるっきゃないと2daysチケットを取りました。

初めて行く京セラドームでのコンサート。すげぇ人工芝にめっちゃヒール埋まるやんとか思いながら、雪だるまに電気をつけました。初っ端から鳥肌が凄かった。デビューしたい!ってJr.みんながいうのはこういう事かって心から思いました。

序盤のメドレーが終わって、一息ついたところで、オルゴール音と共にスクリーンの中の男の子が時計を手に持ちました。もうそこからは記憶がありません。なんで、なんで、なんでって叫びながら泣きじゃくりました。まさか、彼等があの頃のことを私のように忘れずにいてくれたとは思ってなかったから。呆然として手に持っていたペンライトも気づいたら落としてしまってました。そこには確かに大智くんが居た影がありました。スタッフさんほんまに編集大変やったろうなぁあれ。二十数年生きてきてあんなに震えたことはないと思います。

そしたらなんと、アメフリ→レインボウが始まるじゃありませんか。何も変わらないB.A.Dがそこにはいました。関西Jr.のところに戻ってきてよかったなぁ、ずっと好きでいれてよかったなぁと心から思いました。でもそれは軽いジャブに過ぎませんでした。綺麗なハモリを見せた2人が階段を降りてきて……、あれ?この衣装見たことあるぞ?あれ?このイントロ?

え????????????????????

私は夢見ている気分でした。あの濵田崇裕があのBOYSの、歌っていたStayGoldを、あの衣装で歌ってるんですから。いい歳してわんわん声を上げて泣きました。生きててよかったなとさえ思いました。6年ぶりに大智くんの名前を大きな声で呼びました、全力で踊りました。周りの皆さんご迷惑おかけしました。隣の濵田担の女の子ビックリさせちゃってごめんね。そこからのDialup、ネクステ、シルエット。言葉が見つからないほどエモかった。

私はこの時、鍵をかけて奥底にしまいこんだつもりで、鍵なんてかけれてなかった大智くんへの思いをいい意味で思い起こすことが出来ました。それと同時に成仏させることが出来ました。濵田くんありがとう。本当にありがとう。さすが大智くんの相棒だね。

濵田くんは、夢半ばこの世界を去っていた仲間たちの思いも全て乗せて、夢を掴み取ったんだなそう思いました。

「手を伸ばせ 掴み取れ 眩しさの向こう側に 目指してた夢がある」

京セラドームの沢山の光の眩しさの向こう側に私はキラキラした未来を見た気がします。





今の関西Jr.はハッキリ言ってとてつもなく窮屈な場所になってしまっています。ユニットを頑なに作らない故に埋まらない、関東との差。露骨な程の大人の事情で露出の有無。公式に、ファンと彼らの需要と供給が合っていると思えたことはあまりありません。
このままでいいのかな?そう思っていた矢先に誕生したのが、なにわ男子です。我が自担も選出されました。これは、大きな大きなチャンスです。あれだけ期待された新春コンサートですら、ファンの間では正直かなり不評でした。内容がクリパの焼き直しなのは、昔から変わりませんが、不自然な程の推されてる子と推されてない子の差。やらされている感の拭えないコンサートでした。もう、ここまで来ると事務所の方達もわかるでしょ?彼らに彼らなりの自由を与えて、彼らの考えを形にさせるのも大事なんです。ユニットを組めば結束だって生まれます、今はひとつしかありませんが、ユニットが複数あれば、仲間として切磋琢磨する中でも対抗心が芽生えもっと高みを目指すようになります。今より曲だったり自由にできる部分が増えます。この大きなチャンスを絶対にものにしてもらいたいんです。長期休暇も全て公演に費やし、私たちが経験できる青春も捨てて努力している彼らには、絶対成功して欲しいんです。努力して、手を伸ばして、掴み取った向こうにはきっときっと、目指してた夢が、未来があります。
約10年関西ジャニーズJr.を見てきて、大智くんに出会い、何かの縁で松竹座へとふたたび足を運ぶようになり、クリスマスの奇跡を目撃した1ヲタクがこんな所で叫んでもなんにもならないかも知れません。でも、長い年月見てきたからこそ言えることもあると思うんです。



関西ジャニーズJr.ぜっっったい売れようね!!
一緒に頑張ろうね!!





あい